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『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
靺鞨:靺鞨(マッカツ)人の正体は松浦人、海人の国・末盧国と馬韓国
「慕韓」は馬韓なのだろうか?。
馬韓は、鹿児島半島南端の枕崎(マッラザキ)市のマッラから、
九州北部の佐賀・長崎両県にまたがる松浦郡のマツラに移動拡大して、
さらに朝鮮半島まで広がったものだった。
これもマクラのマに馬の当て字をしたものだから、
カラはクラと同じもの、
その発音からみて、カンでなくカラだったのである。
枕という当て字に意味がないとすると、
そのもとの発音は「マカラ」で、
これは海に棲む巨大な聖魚だとするインドの海の神である。
枕崎は海港都市だから昔は海人の町で、
その名がマカラだった可能性は非常に高い。
するとそのはるか南にある臥蛇(ガジャ)島の名に結びっく。
ガジャはインド語で象のことだが、
マカラはガジャ・ミナ(水象・海象)とも呼ばれるからだ。
この島が象と鯨の頭部によく似ていることも本講でお話ししたが、
インドの宗教画には長い鼻をかかげた象の頭をもった魚が、
海を泳いでいる絵が多数みられる。
それがマカラである。
『三国史記』には
「靺鞨(マッカツ)」という敵が記録されている。
この字がマカラなのだから、
半島側からみた海からの敵、
それは『魏書倭人章』が末盧(まつろ)国の風俗として描く、
あの「水が深くても気にせず、昔、沈み潜って魚蝮をとる」
人たち=松浦海人以外には考えられない。
この松浦が半島と分離したのも大化改新以後なのだから、
『三国史記』の読み方がわかる。
※出典:大学講義録33・29頁
≪参考リンク≫
『古代史獺祭』
『三国史記』
『三国遺事』
『三国遺事』
『電子大藏經』
『倭・倭人関連の朝鮮文献』
『朝鮮の歴史』
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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