2014年11月10日月曜日

三國史記 卷第一 新羅本紀第一 逸聖尼師今


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 三國史記 卷第一 新羅本紀第一 逸聖尼師今(原文)

 逸聖尼師今 立 儒理王之長子 或云日知葛文王之子 妃朴氏 支所禮王之女

 元年 九月 大赦

 二年 春正月 親祀始祖廟

 三年 春正月 拜雄宣爲伊 兼知内外兵馬事 近宗爲一吉

 四年 春二月 靺鞨入塞 燒長嶺五柵

 五年 春二月 置政事堂於金城 秋七月 大閲閼川西 冬十月 北巡 親祀太白山

 六年 秋七月 隕霜殺菽 八月 靺鞨襲長嶺 虜掠民口 冬十月 又來 雪甚 乃退

 七年 春二月 立柵長嶺 以防靺鞨

 八年 秋九月辛亥晦 日有食之

 九年 秋七月 召羣公議征靺鞨 伊雄宣上言不可 乃止

 十年 春二月 修葺宮室 夏六月乙丑 惑犯鎭星 冬十一月 雷

 十一年 春二月 下令 農者政本 食惟民天 諸州郡修完堤坊 廣闢田野 又下令 禁民間用金銀珠玉

 十二年 春夏旱 南地最甚 民飢 移其粟賑給之

 十三年 冬十月 押督叛 發兵討平之 徙其餘衆於南地

 十四年 秋七月 命 臣寮 各擧智勇堪爲將帥者

 十五年 封朴阿道爲葛文王 新羅追封王 皆稱葛文王 其義未詳

 十六年 春正月 以得訓爲沙 宣忠爲奈麻 秋八月 有星孛于天市 冬十一月 雷 京都大疫

 十七年 自夏四月不雨 至秋七月乃雨

 十八年 春二月 伊雄宣卒 以大宣爲伊 兼知内外兵馬事 三月 雨雹

 二十年 冬十月 宮門災 彗星見東方 又見東北方

 二十一年 春二月 王薨

 ※出典:『古代史獺祭

 ≪参考リンク≫

 『古代史獺祭
 『三国史記
 『三国遺事
 『三国遺事
 『電子大藏經
 『倭・倭人関連の朝鮮文献
 『朝鮮の歴史

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 


 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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