2014年11月9日日曜日

第六代・祇摩尼師今(1)


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 第六代 祇摩尼師今(在位112年-134年)

 (原文)

 祇摩尼師今立。

 或云祇味。

 婆娑王嫡子。

 母史省夫人。

 妃金氏愛礼夫人。

 葛文王摩帝之女也。

 初婆娑王獵於楡飡之沢、太子従焉。

 獵後、過韓部、伊飡許婁饗之。

 酒酣、許婁之妻、携少女子出舞。

 摩帝伊飡之妻、亦引出其女。

 太子見而悦之、許婁不悦。

 王謂許婁曰

 「此地名大公於
此、 置盛饌美之、

  宜位酒多、

  在伊飡之上」。

 以摩帝之女、

 配太子焉。

 酒多後云角干。
 
 (訳文)

 祇摩尼師今が立った。

 あるいは祇味ともいう。

 婆娑王の嫡子。

 母は史省夫人。

 妃は金氏の愛礼夫人。

 葛文王摩帝の娘である。

 発端は、婆娑王が楡飡の沢で狩猟したとき、太子が従っていた。

 狩りの後、過韓部を通りかかり、伊飡の許婁が饗宴をもてなした。

 心ゆ
くまで酒を飲んでいると、許婁の妻が少女を伴って舞いを踊った。

 摩帝の伊飡の妻もまた自分の娘を引いて舞いに出てきた。

 太子はこの娘
を見て悦んだが、許婁は不愉快だった。

 王が許婁に曰く

 「この地をこれより大公と名付ける。

  山盛りの料理や美酒を設置してくれたから、


  宜しく伊飡の上位の酒多にしよう」。

 以て摩帝の娘を太子の配偶者にしたのである。

 酒多とは後にいう角干のことである。


 (原文)

 二年春二月、

 親祀始祖廟、拜昌永為伊飡以参政事。

 玉權為波珍飡、申權為一吉飡、順宣為級飡。

 三月、百濟遣使来聘。

 (訳文) 

 二年(113)春二月、

 王が始祖廟で祭祀を行い、昌永に伊飡を拝命させ、政事に参与させた。

 玉権を波珍飡、申権を一吉、順宣を級飡とした。

 三月、百済の遣使が来訪した。

 ※出典:『古代史獺祭

 ≪参考リンク≫

 『古代史獺祭
 『三国史記
 『三国遺事
 『三国遺事
 『電子大藏經
 『倭・倭人関連の朝鮮文献
 『朝鮮の歴史

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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