2014年11月24日月曜日

第八代 阿逹羅尼師今:⑤延烏郎 細烏女


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 第八代 阿逹羅尼師今(在位154年-184年)
 
 三國遺事 卷第一 紀異第一より 延烏郎 細烏女 抜粋 

 延烏郎 細烏女

 第八阿達羅王即位四年丁酉

 東海濱有延烏郎・細烏女 夫婦同居

 一日延烏歸海採藻

  忽有一巖

 【一云一魚】 負歸日本

 國人見之曰 此非常人也 

 乃立爲王

 【按日本帝記 前後無新羅人爲王者

  此乃邊邑小王而非真王也】

 細烏恠夫不來 歸尋之

  見夫脱鞋 亦上其巖

 巖亦負歸如前

  其國人驚訝 奏獻於王

  夫婦相會 立爲貴妃

 是時新羅日月無光

 日者奏云

  日月之精 降在我國 今去日本

  故致斯恠 

 王遣使求二人 

 延烏曰 

  我到此國 天使然也

  今何歸乎 

  雖然朕之妃有所織細綃 

  以此祭天可矣 

 仍賜其綃 

 使人來奏 

 依其言而祭之 

 然後日月如舊 

 藏其綃於御庫爲國寶 

 名其庫爲貴妃庫 

 祭天所名迎日縣 又都祈野

 ≪参考≫

 延烏郎(えんうろう/ヨンオラン)

 細烏女(さいうじょ/セオニョ)


 第八阿達羅王(=新羅王第八代 阿達羅尼師今)

 即位四年(=157年?)丁酉(ひのと・とり) 

 東海の濱に延烏郎・細烏女あり、夫婦同居す。 

 一(ある)日、延烏、海に歸(い)き藻を採る。

  忽(たちまち)一巖あり。 

 【一(ある)いは一魚と云う】 負いて日本に歸す。 

 國人これを見て曰く、「これ非常の人なり」と。

 すなわち立てて王と爲す。 

 【日本帝記を按ずるに、前後に新羅の人を王と爲すこと無し。

  これすなわち邊邑の小王にして真の王に非ざるなり】

 細烏、夫の來たらざるを恠(あや)しみ、これを尋ね歸(い)く。

  夫の脱ぎし鞋を見て、またその巖に上(のぼ)る。 

 巖、また負いて歸すること前(さき)の如し。 

  その國の人、驚き訝(いぶか)しみ、奏して王に獻ず。

  夫婦相い會し、立てて貴妃と爲す。

 この時に新羅に日・月の光無し。

 日者(=日官/日を司る天文官)奏して云いしく、
 
  「日・月の精、降りて我が國に在りしが、今は日本に去る。

   故に斯(かく)の恠(あや)しを致す」と。 

 王、使を遣わし二人を求む。 

 延烏、曰く、

 「我、この國に到るは、天の然(しか)しむるなり。

  今、何ぞ歸らんや。

  然りと雖ども朕の妃が織れる細綃有り。

  これを以って天を祭るべし」と。

 すなわちその綃を賜う。

 使人、來り奏して、その言に依りてこれを祭る。

 然して後、日・月、舊(もと)の如し。

 その綃を御庫に藏し國の寶と爲す。

 その庫を名づけて「貴妃庫」と爲す。

 祭天の所を「迎日縣」または「都祈野」と名づく。


 ≪参考リンク≫

 『古代史獺祭
 『三国史記
 『三国遺事
 『三国遺事
 『電子大藏經
 『倭・倭人関連の朝鮮文献
 『朝鮮の歴史

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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