2014年11月23日日曜日

第八代 阿逹羅尼師今:④関連記事


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 第八代 阿逹羅尼師今(在位154年-184年)

 『三国志魏書』倭人伝

 景初二年六月、倭女王遣大夫難升米等詣郡、求詣天子朝獻、

 太守劉夏遣吏將送詣京都。

 
 景初二年(238年)六月(通説では景初三年の誤記とする)、

 倭の女王が大夫の難升米らを派遣して帯方郡に詣で、

 天子(魏の皇帝)に詣でて朝献することを求めた。

 新羅本紀のいう「卑弥呼」が女王の称号だとすれば、

 初代女王が辰韓に使者を送ったとの解釈もありえるが、

 おそらく単なる誤写、あるいは阿達羅王の治世を虚飾するために、

 故意に時代を遡上させたのだろう。

 ※倭の女王卑弥乎、使を遣わし来聘す。

  二十年(173年)夏五月、倭の女王の卑彌乎が遣使を以て来訪した。

  卑弥呼の帯方郡・魏への遣使は『三国志魏書』倭人伝によれば、

  景初二年(238年)・正始四年(243年)・正始八年(247年)。

  もちろん新羅へのこの時の遣使は、中国史書にはみえない。


 『三国遺事』延烏郎と細烏女

 第八阿達羅王即位四年丁酉。

 東海濱有延烏郎細烏女。夫婦同居。

 一日延烏歸海採藻。忽有一巖(一云一魚)、負歸日本。

 國人見之曰:此非常人也。乃立為王(按日本帝記。

 前後無新羅人為王者。此乃邊邑小王。而非真王也)

 第八代阿達羅王の即位四年(157年)丁酉。

 東海の浜辺に延烏郎(ヨンオラン)と細烏女(セオニョ)がおり、

 夫婦で暮らしていた。

 ある日、延烏が海中で海藻を採っていると、

 突然、岩(魚ともいう)が出現し、(延烏郎)を乗せて日本に帰った。

 国人はこれを見て「これは並みの人ではない」と言い、王に擁立した。

 (思うに、日本の帝記は、

  前後に新羅人で(日本の)王と為った者がいない。

  要するに、これは辺境の邑落の小王であり、本当の国王ではない)。

 細烏怪夫不來歸尋之。見夫脱鞋、亦上其巖。巖亦負歸如前。

 其國人驚訝。奏獻於王。夫婦相會立為貴妃。是時新羅日月無光。

 細烏は夫が帰って来ないのを不審に思い、夫を探し求めた。

 夫の脱いだ鞋を見つけると、彼女もまた岩に上った。

 岩はまた前回のように(細烏を)乗せて(日本に)帰った。

 そこの国人は驚き怪訝に思った。

 謹んで王(延烏)に(細烏を)献上した。夫婦が再会し、

 (細烏は)貴妃に立てられた。

 この時、新羅の日月は光を消してしまった。

 日者奏云:日月之精、降在我國。今去日本。

 故致斯怪。王遣使求二人。延烏曰「我到此國、天使然也。

 今何歸乎。雖然朕之妃有所織細綃、以此祭天可矣」。仍賜其綃。

 使人來奏。依其言而祭之。然後日月如舊。藏其綃於御庫為國寶。

 名其庫為貴妃庫、祭天所名迎日縣、又都祈野。

 日が奏して言うには「日月の精は、降臨して我が国に在った。

 今、日本に去ったので、この不思議な現象に到った」。

 王は使者を派遣して二人を求めた。

 延烏が

 「私はこの国に到ったのは、天が然るべくさせたものである。

  今どうして帰ることができようか。

  だが、朕の妃が織る薄絹が有るので、これを天に祭れば、可なり」

 と言った。

 言葉の通り、その薄絹を賜う。

 使者が戻って来て奏上した。

 その言葉に基づいて薄絹を祭った。

 然る後、日月は元通りに復旧した。

 その薄絹を国王の御庫に収納して国宝にした。

 その庫を貴妃庫と名付け、天を祭った場所を迎日県、

 または都祁野と名づけた。


 『大朝鮮帝国史』

 三国遺事の延烏郎と細烏女の説話は、

 新羅に滅ぼされた馬韓遺民の倭列島移住を示し、

 この細烏女がまさに卑弥呼であり、その娘が神功皇后である。

 海上帝国を成していた沸流(プル)百済は、

 高句麗の広開土大王の侵攻によって

 本国の熊津(コムナル)を奪われて日本地域へ避難したのだが、

 この人が応神天皇である。

 応神は奈良百済を建て、

 そこを中心に本国の古莫那羅(コムナル)百済を支配した。

 失礼ながらトンデモ本に類する上記

 『大朝鮮帝国史』の解釈は兎も角、

 崇神天皇三十九年に来日したとされる

 「阿加流比売と天日矛」の伝承にどこか似ている。


 ≪参考リンク≫

 『古代史獺祭
 『三国史記
 『三国遺事
 『三国遺事
 『電子大藏經
 『倭・倭人関連の朝鮮文献
 『朝鮮の歴史

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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