2014年11月26日水曜日

古朝鮮・檀君朝鮮(5)


 浦和レッズレディース
 Matのジオログ
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 古朝鮮・檀君朝鮮(5)

 三國遺事 卷第一 紀異 第一

 古朝鮮【王儉朝鮮】

 魏書云

 乃往二千載 有壇君王儉

 立都阿斯達

 【經云無葉山 亦云白岳 

  在白州地 

  或云在開城東 

  今白岳宮是】

 開國號朝鮮

 與高同時

 古記云

  昔有桓因【謂帝釋也】 庶子桓雄 

  數意天下 貪求人世 

 父知子意 

  下視三危太伯 

  可以弘益人間 

 乃授天符印三箇 遣往理之 

 雄率徒三千 

 降於太伯山頂【即太伯今妙香山】

 神壇樹下 謂之神市 是謂桓雄天王也 

 將風伯雨師雲師 而主穀主命主病主刑主善惡 

 凡主人間三百六十餘事 在世理化

 時有一熊・一虎 同穴而居 

 常祈于神雄 願化爲人 

 時神遺靈艾一・蒜二十枚曰 爾輩食之 不見日光百日 便得人形 

 熊・虎得而食之 忌三七日 

 熊得女身 虎不能忌 而不得人身 

 熊女者無與爲婚 故毎於壇樹下 呪願有孕 

 雄乃假化而婚之 孕生子

 號曰壇君王儉

 以唐高即位五十年庚寅

 【唐高即位元年戊辰 則五十年丁巳 非庚寅也 疑其未實】

 都平壤城【今西京】

 始稱朝鮮 又移都於白岳山阿斯達 又名弓

 【一作方】忽山 又今彌達 御國一千五百年

 周虎王即位己卯 封箕子於朝鮮

 壇君乃移藏唐京 後還隱於阿斯達 

 爲山神 壽一千九百八歳

 唐裵矩傳云 高麗本孤竹國【今海州】

 周以封箕子爲朝鮮 漢分置三郡 謂玄菟-樂浪-帶方

 【北帶方】

 通典亦同此説

 【漢書則眞臨樂玄四郡 今云三郡 名又不同 何耶】

 

 古朝鮮【王儉朝鮮】

 『魏書』に云う。

 すなわち二千載の往(いにし)え、壇君王儉(だんくんおうけん)有り、

 都を阿斯達

 【經に無葉山と云い、また白岳と云う。

  白州の地に在り。

  あるいは開城の東に在りと云う。

  今の白岳宮これなり。】に立て、

 國を開き朝鮮と號す。

 高(=堯/三皇五帝のひとり。)と同じ時なり。

 『古記』に云う。

  昔、桓因【帝釋を謂う。】が庶子の桓雄有り、

  數(たびたび)天下を意(おも)い、人の世を貪求す。

 父、子の意を知り、下に三危太伯

 (さんきたいはく/三危はみっつの高い山。

  太伯はそのひとつで、下に見える太伯山のこと。)

 を視るに、もって弘(ひろ)く人間を益すべきなり。 

 すなわち天符印

 (下に見える風伯・雨師・雲師の三神の印綬)三箇を授け、

  往(ゆ)きてこれを理(おさ)めしむ。 

  雄、徒三千を率(ひき)い、

 太伯山の頂【即ち太伯は今の妙香山なり】の

 神壇樹の下(もと)に降(くだ)る。

 これを神市と謂い、これを桓雄天王と謂う。

  風伯・雨師・雲師を將(ひき)い、穀を主(つかさど)り、

 命を主(つかさど)り、病を主(つかさど)り、刑を主(つかさど)り、

 善惡を主(つかさど)り、

 凡(すべ)て人間の三百六十餘事を主(つかさど)り、世に理化あり。

 時に一熊・一虎有り、穴を同じうして居す。

 常に神雄に祈り、化して人と爲るを願う。

 時に、神、靈艾一・蒜二十枚を遺わし曰く、

 「爾輩(なんじら)これを食い、百日日の光を見ざれば、

 すなわち人の形を得るべし」と。

 熊・虎、得てこれを食い、忌むこと三七(=二十一)日。

 熊は女身を得るも、虎は忌むこと能(あたわ)ずして人身を得ず。

 熊女は婚を爲す無く、

 故に毎(つね)に壇樹の下に孕(はらむ)こと有らんと呪願す。

 雄、すなわち假化してこれと婚し、孕みて子を生む。

 號(なづ)けて壇君王儉と曰う。

 もって唐高(=堯/三皇五帝のひとり。)の

 即位五十年庚寅(かのえ・とら)

 【唐高の即位元年は戊辰(つちのえ・たつ)。

  すなわち五十年は丁巳(ひのと・み)なり。

  庚寅(かのえ・とら)に非(あら)ず。その未だ實ならざるを疑う】、

 平壤城【今の西京なり】に都し、始めて朝鮮を稱す。

 また都を白岳山の阿斯達に移す。

 またの名を弓【あるいは「方」に作る】忽山、または今彌達という。

 國を御(おさ)めること一千五百年。

 周の虎王(周の「武王」のこと。

 高麗の二代・惠宋帝の諱が「武」であったため、

 武の字の使用を避けて「虎」と書いたもの)の

 即位己卯(つちのと・う)。

 箕子(きし/末尾の註1を参照)を朝鮮に封ず。

 壇君、すなわち藏唐京に移り、後に阿斯達に還り隱れ、山神と爲る。

 壽、一千九百八歳。

 唐の『裵矩傳』に云う。

 高麗はもと孤竹國【今の海州】なり。

 周の箕子を封ずるをもって朝鮮と爲し、漢は分かちて三郡を置く。

 玄菟(げんと)・樂浪(らくろう)・帶方(たいほう)

 【北帶方】と謂う。

 『通典』、

 またこの説に同じ

 【『漢書』はすなわち眞・臨・樂・玄の四郡。

  今は三郡と云う。

  名、また同じからず。何(いか)にや】。

 註1:箕子(きし)/殷(商)の公子。

    殷王朝の最後の皇帝紂王(ちゅうおう)につかえ、

    その乱行(酒池肉林)をいさめたが聞き入れられず、

    自ら狂人をよそおい奴婢となって身を隠したが紂王に見つかり

    幽閉される。

    やがてのちに殷を滅ぼした周の武王に助け出された。

    周の武王は箕子に殷が滅びた理由をたずねたが、

    箕子はその問いには直接答えず、政治のあるべき姿を語った。

    武王は「箕子に殷が滅びた理由をたずねても、

    彼がその王の悪口をいうわけがない。

    箕子はつらい思いをしたであろう。

    このようなことをたずねた余が愚かであった」と悔いて、

    箕子を朝鮮に封じたという。 

    これがいわゆる「箕子朝鮮」である。


 ≪参考リンク≫

 『古代史獺祭
 『三国史記
 『三国遺事
 『三国遺事
 『電子大藏經
 『倭・倭人関連の朝鮮文献
 『朝鮮の歴史

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

0 件のコメント:

コメントを投稿