2015年1月11日日曜日

日本古代王族の婚姻系譜⑥


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 Matのジオログ
 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

 出典:柿本一征(かきもとかずゆき)・言語復原史学会正会員

 ≪日本古代王族の婚姻系譜≫


 「系図J」

   3    4       5        6

     _|末仇2 ━  末仇3 ━    末仇4(扶余王玄)∥
 |末仇∥         蜂上王   ∥ |石城別
  休礼∥        |哀邪本嬢  ∥_|高奴子
 |味鄒∥_|哀部本王∥_|哀邪本皇子 ∥ |サホ姫      ∥
  光明∥  玉姫  ∥          |水歯郎女(五十香彦の妃)
      |室比古王∥  屋久島の女性∥__|劉曜
       張氏  ∥_|劉聡(四男)
 


 E系図とJ系図の室比古王の列を並立させてみると、次のようになる。

  2         3     4    5

 仇道(剄頚) ∥ |末仇∥_|末仇2 ━末仇3
   (伊声耆) _ 休礼∥      (比流王)304~344
 息長水依姫  ∥ |味鄒∥ |室比古王∥
           光明∥  張氏  ∥_|劉曜(四男)

 僕の「ホケノ山古墳の被葬者特定」という論考の中で、

 味鄒=山代大国淵、室比古王=劉淵であることは解明してあるから、

 陳舜臣前掲書p384に

 「劉淵の祖父於夫羅(オフラ)は、

  献帝の東帰を援け、

  その居住地は中原からごく近いところだったのです」と

 ある文章のオフラのルビはオフロと変更出来る。

 オフロはオフロー(=イフロー=ユーロー=ギリシャ人)である。

 仇道は烏越(慕容渉)にとっても祖父である

 (仇道━臣濆姑━烏越)。

 どちらから見ても合うものは、

 それが真実の系着であることの証拠である。

 ギリシャ人である伯固(紀妃の孝霊天皇)の息子は

 やはりギリシャ人である。

 この人種の名は、

 後のオホド大公王(継体天皇)になって復活(?)する。

 オホド=オホロ=オフロ=イフロ

 (意はイとオの南方の発音を持っている)=

 ギリシャ(人)になるからである。

 劉淵は大航海王味鄒の息子で、

 彼自身も航海王(船長、海軍大将)だったし、

 彼は三世紀未に沿海州で人望を得て、

 ついに皇帝になった(漢)=304~310年病没。

 沿海州で人望を得た、

 彼は航海王(大商人=海商)というのなら、

 南九州、瀬戸内海のみならず、

 日本海沿岸と半島、大陸を航海(交易)していたのである。

 2002年1月12日各紙の報道は

 紙面の大きさと内容面の両面において、

 実に濃淡の差があって、

 尽きない興味をそそられるものであったが、

 その報道とは、石川県七尾市の

 「万行(まんぎょう)遺跡」に関してであった。

 「ヤマト政権の支配がはやくも及んでいた」

 というパターン通り(共同配信?)の解説の他に、

 「ヤマトとは異なる独自の勢力が、

  朝鮮半島から日本列島へ放射状に伸びる

 交易ルートのうちの一つを担っていたのではないか」

 (山尾幸久・毎日新聞)などのコメントが掲載されていた。

 報道の通り

 「三世妃未~四世紀始め(の倉庫群跡)」の年代が正しいものならば、

 どう考えてもこの時期、

 この地域を航行していたのは室比古王(劉淵)たちの商船、軍船である

 (劉淵は名前が確認される彼ら豪族連合の一代表者にすぎない)。

 劉淵の父は畿内、大和に移住していて、

 息子の室比古王も瀬戸内海を航海したから、

 ヤマトと無縁ではないが、どうみても、

 彼、(室比古王)がヤマト政潅の代表者だったと

 位置付けるわけにはいかないではないか。

 彼が大和政権なら、彼が「大陸で皇帝に推される」筈はない。

 「ヤマトとは異なる独自の勢力」の表現の方が正しいのだと思う。

 また、味鄒も大和政権ではない。

 「方位は北極星を基準にした真北に沿っており」

 「高度な測量、設計技術がうかがえる」とあり、

 天御中主(金味鄒)の息子の宗教観を反映している。

 室比古王は若狭の耳別の祖であり、

 若狭は秦氏の居住が濃厚に確認される地域である。

 ≪参考リンク≫

 『古代史獺祭
 『三国史記
 『三国遺事
 『三国遺事
 『電子大藏經
 『倭・倭人関連の朝鮮文献
 『朝鮮の歴史

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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