2014年9月26日金曜日

山に天降った六部の人々(5)

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 朴氏の始祖神話

 ※出典:新羅概史

 ≪『蘿井伝説』(朴氏の始祖伝説)≫

 新羅には「朴氏・昔氏・金氏」の三氏の始祖伝説があるが、

 朴氏の「蘿井伝説」が新羅の始祖神話とされる。

 時代背景は辰韓の六国時代と位置づけているが、

 三国史記や三国遺事に記された編年史は、

 日本の「記紀」と同様に、

 表記された干支の暦年を還暦(60年)の倍数で

 加算して修整する必要がある。

 この「蘿井伝説」については三国遺事が詳しいが、

 筆者の訳文の稚拙さもあり、若干読み辛いので、

 先ずは民間伝承の物語から紹介する。

 『民間伝承』赫居世

 昔、まだ新羅が辰韓と呼ばれていた頃、

 辰韓(慶尚北道の慶州府)には

 楊山村、高墟村、大樹村、珍支村、加里村、高耶村の六村があった。

 六村の村長は皆が天から山に降りてきた神人で、

 後に李・崔・孫・鄭・薛・裴の六姓の祖となる。

 紀元前69年、

 六人の村長は各々の子弟を連れて閼川の岸辺に集まり、

 楊山村の蘇伐村長が

 「我々には君主がいない。有徳の人を君主に立て、

  邦を開き、都を定めようではないか」と言い、

 六村を合併して一国に統合する会議を開いた。

 そこで彼らは有徳の人の気配を探すべく山に登って下界を展望した。

 すると南方の楊山の麓、蘿井の辺りに不思議な霊気が漂っていた。

 雷光が天地を繋ぐように閃き、

 その光の下に一頭の白馬が何かに跪拝していた。

 その馬の前に一個の卵があった。

 白馬は人々が近づいて来るのを見ると、

 長く嘶いて天上に駆け昇った。

 卵を割ってみると、中からは端麗な男児が出てきた。

 人々は驚き、東泉寺に連れて行って体を洗うと、

 男児の体が光輝き、

 いずこからか鳥や獣たちが集まってきて舞い踊り、

 天地は鳴動し、太陽や月は清らかに照らした。

 そこで人々は男児に

 「世の中を明々と照らして治める」という意味の

 「赫居世(カクキヨセイ)」と名づけた。

  赫居世の入っていた卵は瓠(カク=瓢箪)のように大きかったので、

  新羅の言葉で瓢箪を意味する「朴(パク)」という姓にした。

 人々は立派な君主を授かったので、

 次には君主に相応しい妃を探し始めた。

 その日、沙梁里の閼英(アリヨン)という井戸の中から

 鶏龍が現れるという吉祥があり、

 しかも鶏龍は脇の下から女児を産み落とした。

 その女の子はとても綺麗だったが、

 唇が鶏の嘴(くちばし)のようになっていた。

 その子を川に連れて行って体を洗わせると、嘴が抜け落ちたので、

 その川の名前を「撥川」と呼ぶようになった

 (抜と撥は同音の「バツ」)。

 その女の子は龍の出現した井戸の名から閼英と名づけられ、

 二人の子は大切に育てられ、十三歳になると、

 それぞれ王と王妃になった。

 紀元前57年、二人が国を建てた。

 国の名前は「鶏林、斯羅、斯盧」などと呼ばれたが、

 後世になって「新羅」と定められた。

 また徐羅伐(ソラバル=ソウルの語源)とも呼んだ。

 治世61年(西暦4年)、赫居世王は昇天したが、

 その七日後、天から遺体がバラバラになって降ってきた。

 王妃も亡くなったので、人々は二人を合葬しようとしたが、

 大蛇がそれを妨害したので、仕方なく二人を別々に、

 王の五体もバラバラに葬った。

 そこで、王の墓を五陵、または蛇陵という。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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